毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

赤子の頃、柱に紐で括りつけられていた話。

http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/mob/otokonoko/10.html

田房永子さんのエッセイ

10 働きたい気持ちに男女差なんてないという幻想 の中に

岡本太郎の母親の岡本かの子の話だった。かの子は自分の創作中、幼い太郎を箪笥や柱にひもでくくりつけていた、というエピソード。』が出てきた。

 

田房さんは実際にお子さんをくくりつけはしなかったそうだが

…あああ…

私、これ されてた方だったんだわ~

 

 

赤子の頃の話なので 実際に紐でくくられてたことを覚えているわけでないのだが

「我が子を紐でくくってまで仕事していた私エライ」

という文脈で母は私に語りまくっていたエピソードである。

「私エライ」という自慢?を「笑い話」というよくわからないオブラートに

包んで語っているつもりだったんだろうが 

語られた方はたまったもんじゃない。

 

母は笑いながら・そして、自慢げに「紐で括った」話をするので

こちらとしては それはスタンダードな育児法なのかと錯覚する。

しかし、年齢をある程度重ねるにしたがって

「あれ?それ虐待じゃね?」とか思ったり思わなかったりしたりするし

高校生の頃、同じく岡本太郎だったのかすっかり忘れたが

なにかで「赤子を紐で括って仕事する」話が国語だかなんだかで出てきたときに

クラスメートの女子が大層憤り、

「そんなの!!虐待じゃん!!犬じゃないんだからさぁ!!子どもに対して愛情ないわけ??」とかなんとか吠えていて

そんな彼女を見ながら

「ああ、私は犬だったんだなあ」と悲しくなったりもした。

 

 

 

実際自分が子どもを産んでみて 密室育児やワンオペ育児のしんどさを経験したし(今考えるとノイローゼ気味だったよな…) それこそ柱に紐で括りつけたりはしませんけど、バウンサーに突っ込んで家事をしたり、自分の勉強したりしていたので

紐で括りつけたい気持ちはわかる。

 

私自身は母親を見て 反面教師として 子どもが小さい頃は絶対に専業主婦になろうと

計画的に生きていたので「夫だけが仕事をすること」「夫だけが自由であること」に理不尽さは感じなかったが もし、当時自分に「やりたいこと」が明確にあったなら

理不尽さを感じたかもしれない。

 

また、私の母親だって 自分だけ赤子を抱えて働いているという「理不尽」を乗り越えたからこそ

「育児と仕事両立した私エライ」と延々と言い続けているのではないか。

 

しかし「理不尽」は乗り越えるものではない。

田房さんのように「理不尽」を社会に問題提起するなり 

もしくは跳ねのけるなりなんなりしなければ

それは 理不尽な上司のパワハラに耐え続け、自分が上司になったら部下を物凄い理不尽に攻め立てる。

みたいなことになってしまう気がする。

学びがない。

今まで女であるというだけで「理不尽」な設定を受け入れてきた私たちも

その設定を壊すときが来たんじゃないかと思う。

 

あ 悲しい想い出から

なんか壮大なまとめになった。