毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

PTA非加入とか脱退とかそういう話題に触れて思い出した話。

私は昭和55年生まれなので

昭和の終わりから平成のはじめにかけて小学校に属していた。

通っていたのは やや田舎の小学校。

児童は田畑を持つ農家・地主と山を切り開いた新興住宅地に住むサラリーマンの子どもが半々。

私は 坂の途中に住む サラリーマンの子どもだった。

サラリーマンの子どもと言っても、母の再婚で運よくサラリーマンの子どもになった

だけで、母は元々自営業だし、母は機能不全家族で育っているし、精神的にヤンキー気質なのかなんなのか

専業主婦になっても なんか まぁ とんがってたよね…。

 

そんなわけで、当時は地域の子ども全加入の子ども会に私は入っていなかった。

 

子ども会に入っていなくても、学校生活はふつうに送れるが

当時の子ども達がほぼ全員通っている ドッジボール教室には通えない。

主催が子ども会だから。

夏休みのラジオ体操もない。

主催が子ども会だから。

長期休みに行われる遠足のようなものにも行けない。

主催が子ども会だから。

公園の清掃もないし、廃品回収に回らなくてもいい。

卒業時の記念品もない。

主催が子ども会だから。

 

別にね。

ドッジボールなんて好きじゃなかったし、

夏休みは遅くまで寝ていたいし、

集団行動苦手だから 

そういうのに積極的に参加したかったわけではないですよ。

別に物も買えばいいだけだし。

ただ

「自分だけ参加出来ない」「自分だけ貰っていない。」

という事実が寂しかった。

参加するかしないかの選択肢が自分にはないのだ。

欲しいか 欲しくないかという問題じゃない。

 

自分にだけない。

 

あのとき 母に「子ども会に入って!!」って熱心にお願いしたら

嫌々でもたぶん入ってくれたような気がしないでもない。

(わからないけど💦)
では、どうしてお願いしてでも子ども会に入らなかったかと言うと

 

母の主義主張を当時は「絶対的なもの」としてとらえていたことが大きいと思う。

それは 毒親云々の話なので 一般的ではないと思うが…

ことあるごとに

「なんで6時のチャイムを鳴らす当番のために

自分の用事を犠牲にしなきゃいけないの??バカじゃない~」

「朝からラジオ体操なんて出来るか~(笑)」

ドッジボールなんて、あなたしたくないでしょ?」

みたいなことを言われていたからで

母が絶対であった私としては

同級生の前で↑と同じ主義主張をしなければ

「本当はみんなと同じようにしたい。参加したい」

という気持ちを隠せなかったからだと思う。

 

その結果

小学校の同級生の前で

「は?子ども会とかバカバカしいし!!」という態度を6年間とり続けた。

 

 

昨今のPTAを脱退したら

〇〇に参加できません。〇〇が貰えません。

みたいなちょっとした騒動をきっかけに 当時のことを久々にリアルに思い出したが

子どもが辛い思いをするようなことだけは無い様にして欲しいと思う。

 

PTAに入るか入らないかも自由になったらいいと思うし、

ただし、子どもに差がつかないような配慮は必要だと思う。