毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

女としての価値が高いのはいつだって母の方だというアピールを受けて育ったら自分の顔が分からない人間に育ったという話。

なんていうか…まぁ 

どちらかというと飽きれる系。

 

もしかしたら記憶の後付けかもしれないが

一番初めに違和感をもったのは たぶん5~6歳のとき。

母子家庭になってすぐ位の頃だった。

 

「洗濯物を家の中に干すのは貧乏くさくて嫌!!」という母は

洗濯物は全て庭や家の裏の駐車場近くに干していた。

自分の下着も私の下着も全て外。

 

そんなある日 母の下着が盗まれた。

ギャーギャー大騒ぎし、警察も呼んだんじゃないかな。

そしてその話を 会う人 会う人にする。

怖いだの 気持ち悪いなど。

結局、母の下着だけは家の中で干されることになったのだが

今度は私の下着が盗まれた。

すると今度は 「笑い話」として会う人 会う人にする。

「泥棒もばかよね~ 小さいパンツだから私のと間違えたんだろうね(笑)」と。

当時は昭和 まだ「ロリコン」という概念がない時代だったので

まぁ 間違えたんでしょうね。

それはいいとして

母の下着が盗まれたのは事件で

私の下着が盗まれるのは笑い話なのだ。

 

 

それから10年くらい経った頃

私は頻繁に痴漢に遭うようになった。

背が低く ぽっちゃりしていて 大人しそうにみえたのだろう。

頻繁に遭うので 「怖い」よりも、腹が立ってくるし、

そもそも私は大人しそうに見えるだけで大人しくない。

たまたま腹の虫が悪い時に あまりにも大胆に触ってくるバカがいたので

警察に突き出した。

 

交番から 最寄りの警察署に移動したところで両親が迎えにきたが

その時の第一声が

「うちの娘がすみません」

だったし、 

その痴漢の正体が 普段海外勤務している某大手会社のエリート社員だった

ということで

何故か「こんなことで…」と相手を気付かっており、

私の意思は全く聞かれることもなく痴漢について不問になった。

 

もし、痴漢にあったのが母であれば…

大騒ぎしていたに違いない。

しかしながら、とくに慰められることもなく、痴漢に対して怒るわけでもなく

痴漢にあった話はその後積極的に語られることはなく

なんとなく無かったことにされた。

 

 

日常的に私に対して無関心だったのなら それも解る。

しかし、母は私に対して過保護 過干渉だった。

にも関わらず、性的なことに関しては

なぜか心配しない。

子どものころから 大人になってもずっとそうだった。

 

 

思い出してみれば

小学校に保護者として母が行けば

担任(若い男性)が走って母に駆け寄ってくる とか

お祭りに行けば

テキヤのお兄ちゃんがサービスしてくれた とか

過去の思い出としての

モテた自慢とか

なんか そういう話を聞かされ続けていた。

 

母の中で、女として価値が高いのは常に自分でないと気が済まなかったのだろう。

そして、それが認められない場合にはキレた。

 

母の実姉の夫が

「〇〇ちゃん(母)もキレイやけど、やっぱり嫁ちゃんの顔が一番好き」

と発言すると 母はキレたし

(いや、他所の旦那が他所の嫁褒めるとかダメだろ、普通に)

自分よりキレイな親戚に関しては

「あの子は昔、名古屋で有名になるくらいに遊んでて、それで結婚出来ないってことで

こっち(九州)に帰ってきてお見合い結婚したのよ。だからあの子の旦那はあの子の正体を知らないのよ。かわいそうに」

とか、猛烈にディスった。(いや、それ当時小学生の娘に聞かせる話か??)


私は幼少期から母に

「カワイイ カワイイ」と育てられたが

上記のようなことが頻繁にあったので

その「カワイイ」に確信が持てなかった。

母の言葉通り

「ものすごくカワイイ」

のか

そうでもないのか。

はたまた ブスなのか。

自分への評価がふわふわとしている。

そのせいか、単に軽い相貌失認なのか

自分の顔がいまいち分からない。

写真で見て酷さにビックリすることもしばしばだし、

そうでなくても、たまに本気で自分の顔が分からなくなるときがある。

 

客観的にみて…?

顔面偏差値は然程高くない。

他人を快にも不快にしない程度の顔であると思うが

理想の自分とか、よく鏡で見る自分とか、写真写りがいい時の自分の顔以外の

顔は心理的に認められない。

よく、写真写りが悪くても気にせずにバンバンSNSにUPする人が心底

羨ましい。

美人でもブスでも 自分の顔に自信というか確信があるのだろうと思っている。

いや、顔だけでなく

存在自体に自信があるのだろう。

 

つまり。。。

あれだ、あれ

「自己肯定感」

 

口先だけでなく、きちんと心から

子どもの存在を「肯定」すること。

それが大事なんじゃないかと思った。