毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

小6の頃の夏休みの黒い思い出(中学受験生日記)

夏になると思い出すのが 小学生時代の夏休み。

低学年の頃は 朝起きてワイドショーみて再放送のじゃりン子チエとかみて、あかんたれとかなんかそういうドラマ見て なんかダラダラして友達と遊んで みたいな

ダらっとした生活をしていたが、小3から通塾が始まったので否応なく夏は規則正しい生活になった。

 

そんな規則正しい夏休み4年目。小6の夏休み。

70分×4教科の授業がほぼ毎日あった気がする。

塾は家からバスで20分くらいのところ。

4冊のテキストと国語辞典をリュックサックに入れて通塾していた。

塾は楽しかったし、塾の友達も当然ながら同じように毎日通塾していたので

特になんの疑問も持たなかったが

夏期講習も中盤に入ったころ その小さな事件が起きた。

 

同じバスに小学校の同級生が乗って来たのだ。

女子2人組。たいして仲がいいわけではないが、クラスメイトなので

世間話程度はする。

涼しそうなラフな服装に透明のビニールバック。

彼女らは私が通う塾がある場所の近くの市民プールに遊びに行くところだった。

 

一方こちらは

クーラー対策で温度調節できる服装。

そして、クソ重いリュックサック。

市民プールとは地球の真裏にあるんじゃないか?と思えるほどに違う

塾にいくのだ。

 

当時の私は

「こいつらとは住む世界が違うんだ」

と必死に言い聞かせた。

こいつらは地元のどうしょうもないヤンキーだらけの中学に行くのだ。

私とは違うのだ。

そう言い聞かせ、自分を保とうとしたし、

80%くらいは本気でそう思っていた。

 

「私達は市民プールに行くの」

みたいな発言に対しての

「私は塾」

 

私はマウンティング女子だったので 

いかに塾が素晴らしいところかを熱弁したと思う。

もしくは いかに自分が大変な偉業を成し遂げようとしているかについて

語ったかもしれない。

 

しかし、当然彼女らは私が塾に行くことなどなんとも思うこともなく

さっさと市民プールに行ってしまった。

 

バス停で別れたあと、切ない気持ちを必死に「おまえらとは違う」という包装紙で包み込もうとしていた。

 

 

夏休みが終わり、新学期にはいっても彼女たちの中で

「夏休みにバスでわるみに会った」という話題はひとつもなかった。

こちらは死ぬほど覚えていたが

彼女たちにとっては どうでもいい日常の一コマだったに違いない。

 

 

 

それから数か月後。

彼女らの一人と意外な場所であった。

志望校の入試会場である。

 

そのプール娘を見かけた瞬間

「は?受かるわけないじゃん!」

と本気でおもった。

学校でも大して勉強が出来る方ではない娘だ。

最難関の女子中に合格するわけなんてないし、なんならその場にいるだけ

場違いだとおもった。

 

止せばいいのにわざわざ話しかける私。

口には出さないが

「お前が受かるわけないじゃん」「なんでこんなところにいるんだよ」という

気持ちが態度に駄々洩れしていたに違いない。

娘の方も物凄く居づらそうでこちらとも目を合わせなかった。

 

当然、プール娘の方は不合格だった。

当たり前だと思った。

夏休みプールで呑気に遊んでいるやつが最難関中に合格するはずがないのだ。

 

それから 私の方が無事に最難関の中学に入学し、いろんなタイプの同級生と出会うことになる。

私の世界の全てだった「最難関中を受験するような人は全員がり勉」はあっけなく崩れた。

プール娘はたまたま不合格だっただけで、夏休みきちんと?遊んでいても合格する人は合格するのだ。

 

さらに時間が経ち、大学受験に落ちた頃。

やはり、思い出したのは あの夏の光景である。

自分とは対極に居るはずだったプール娘たち。

しかし、大学に落ちた私はどちら側にいるのだろう?

小学生時代の大切な時間を犠牲にした感がどうしても消えなかった。

 

結局のところ

自らを 周囲の大人が作った、大人にとって都合のよい型にはめ込んでいただけだった。

なんてあほらしいのだろう。

 

今、私の息子は小4で あの夏の私の年齢に近づいてきている。

息子と私は違う。

頭ではわかっているけど どうしても息子はどちら側にいるのか

考えてしまう。