毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

「もう死にます」と言って母がいなくなった時の話。その④

③の後の話が続くはずでしたが…

その後のことを私は覚えていなかった。

おそらく、騒動はあれで終わったのだろう。

 

③を書き終わって、何度か読み返して気付いたが

そもそも膀胱炎になったというよりか

最初に血尿がでたのだ。

それで、尿意を堪えながら慌てて泌尿器科に行ったら

「膀胱炎」と診断されたのだった。

 

血尿が出たときは トイレで大爆笑だった。

「まーーーじーーーでーーー!ボクサーかよ!!」

「ウケるwwwwww」

 

思い返せば

母も若い頃 「血尿が出た」と騒いでいた。

私は小学生くらいで、「血尿」の重みが全くわからなかったので

「ふーん」くらいの感覚だったが

母は「血尿が出る」凄さを何度も何度も繰り返し私に伝えた。

「ふつうはボクサーがお腹を殴られたときに出るようなもの」

そう母は繰り返した。

 

私は昔から他人の痛みに鈍感だ。

母が「頭が痛い」とか「お腹が痛い」とか言っても「ふーん」って感じで

本心から心配したことはなかった。

たぶん、私にはそういう感情が欠落している。

私が「ふーん」って感じだからか 元々なのか分からないが

過剰に痛がるくせに日常業務はキチンとする。

そしてキレる。

「私が痛いって言ってるのに!なんで何もしないの!」

私が大人になってからもずっとそうだった。

大人になって、流石に私が「痛い」と訴える母の代わりになにか家事をすると

それはそれでやり方がどーのこーの文句をつけるので

結局 「本当に痛いけど、自分でやりたい」のか

「本当は痛くないけど、痛いと言っておきたい」のか わからない。

 

話がそれた。

 

結局、「もう死にます」騒動は私の「血尿」によって終わった。(私の中で)

 

「死にそう」だった継父も無事退院したし、

「死ぬ」と言った母も自転車に乗って事故る程度に元気だ。

 

逆に全く死とは関係ない

私が「血尿」を出して 私の見た目が派手になっただけで

なんだがバカバカしい。

 

うろ覚えだが、太宰治の「人間失格」の最後を思い出す。

 

何事も「喜劇」か「悲劇」しかない。

この「死にます」騒動は 「喜劇」で終わった。