毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

「もう死にます」と言って母がいなくなったときの話。その②

すみません 間違ってその①を2回投稿してしまったようです。

後の方を消しましたが スターをくださったみなさま どうもありがとうございました。

 

 

さて、昨日の続き。

 

絶望しつつも 継父の病院に 仕事を切り上げ夫が駆けつけてくれた。

夫はあきれていたと思う。

「 死ぬ と言ってホントに死ぬ人は少ないから。」

そう言って私を慰めてくれた。

継父はというと、母の心配よりも自分の心配しかしておらず

洗濯物が困るとか、現金がないとか 退院のときはどうするかとか

そう言った話をしていた。

ちなみに「女の人がいた」と言う話は

継父曰く、

 

病室で継父のケータイが鳴る。

母が見る。

継父の会社の人(60代女性)からメール。

「大丈夫ですか?心配しています。早くよくなってくださいね♡」

 

ということらしい。

アホ草。

 

この際 女性がどうのこうのに関する事実はどうでもよいが 

結局のところ、母が悩もうと困ろうと病もうと怪我しようと

継父は自分のことしか心配しない。

 

結局、母の心配をしているのは私だけだったし、正確に言えば

私だって「母が自殺されたら後味が悪い」という 自分の心配だったので

誰も本気で母のことを心配していないという悲しい現実だけが残った。

 

母の行き先は 何となく検討はついていた。

恐らく母の生まれ故郷だろう。 

今 私達が住む場所の隣の県。

しかも、公共交通機関もほぼないド田舎。

私は祖父(母の実父)のお墓があるところしか知らない。

今から行ってもどうしようもなく、

明日の朝 行くとしても お墓のところで 母の死体を見つけてしまった場合

どんなリアクションをとればいいのだろうか?とか、

その場合 息子は連れて行くべきか?とか

どうやって行こうか。駅からタクシーでいくらくらいだろうか?

継父は入院中なので、喪主は私なのだろうか?

そんなことばかり考えていた。

 

その後、一応 母の実姉(私にとって伯母さん)に電話し、母が居なくなったことを伝えた。

実姉と母は仲が悪かったが 実姉はわりと常識的な人なので

表面的に心配してくれた。

そして、母から連絡があったり、何かわかったら私に連絡を入れるように約束してくれ、電話を切った。

 

それから2時間くらいしてから伯母さんから私のところに電話があり、

母が自宅に戻ったことを教えてもらった。

 

本気で「死ねばよかったのに」と思った自分が嫌になったり、

こんなことをしでかす自分の母親が心底嫌になったり、

もう何もかも嫌になったりで 私は完全に情緒不安定となった。

 

真夜中に泣きじゃくる私の頭を何も言わずに なでつづけてくれた夫には感謝である。

 

翌朝、私の家に母から電話が掛かって来た。

酔っぱらっているのか 変な薬でも飲んでいるのか 呂律が回っていない。

何を言っているのか分からないながらも

・誰も私のことを心配しない。

・誰も私のことを愛していない。

・娘(私)は継父が死にかかっているというのに病院にもこない。

・兄は継父のお見舞いに来たのに。

・あなた(私)はちっとも来ない。

そんな内容だった。

 

心配はした。(正確にはしてないが)

愛してはいない。

しかし、病院には行った。誰よりも先に行き、誰よりも働いたのは私だ。

しかも、今回だけでない。年初からずっと病院に行っているのは私だし、

わけのわからないことで呼び出されていたのはずっと私だ。

それに毎回保証人になっているのは私の夫だ。

 

ふざけるな 

 

そう思った。

 

私の異常な怒りを察してか、夫が電話を変わってくれた。

「もう、うちに関わらないでください。迷惑なんです。」

 

うちの夫は100人中100人が見て 温厚だ。

怒鳴ったことは後にも先にも この時だけだった。

残念ながら、迫力はなかったが

 

私はこの人(夫)に守られている。

 

そんな安心感を得た。

 

夫が怒鳴ったところで もはや頭がおかしい領域に達していた母にはまったく通用せず

次の日も懲りずに電話は掛かって来た。

しかし、夫が完全にガードしてくれたので私のところまで影響はなく

表面上の日常を装うことは出来ていた。

しかし、私の自律神経だかなんだかは完全におかしくなっていたようで

しばらくの間 味覚が消えた。

 

 

まだ続きます。。。