毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

「もう死にます」と言って母がいなくなった時の話。その①

もう何年前だろうか。

3年くらいかな? 

 

母に対して完全に冷めた↓

warumix.hatenablog.com

 

丁度1年後の2015年の正月明け、継父がちょっとした事故で頭を強く打ち

救急車で病院に運ばれた。

たまたま運ばれた病院が私の住む家から徒歩10分のところだったので

真っ先に私が行くことになったのだが、まぁ大変だった。

当時私は妊娠初期でつわりの真っ最中。

息子申し訳ないまだ幼稚園生で手のかかる時期だったが

継父の一大事ということで 母はバンバン私に連絡を入れてくる。

一応「絶縁中」なはずだったが 毒親あるあるなのか

そんなことは全くなかったかのように距離無しな態度に逆戻りだった。

「絶縁中」だったので私の妊娠のことは伝えてなかったが、

毎日あまりにも「病院に行って」とか「お医者さんがあーだこーだ」という連絡がくるので

「妊娠初期だから無理させないで」という意味で 

「妊娠しているから…」というと 

更に距離はなくなった。

 

「まぁ!次は絶対女の子よ!!!!!」

(母は息子が生まれる前も「女の子」の主張をしていた)

「女の子は裏切らないから!」

「女の子はずっとあなたの傍にいてくれるから!」

「やっぱり最後に頼りになるのは女の子だから!」とことあるごとに言って来た。

 

その言葉全て、お腹にいる子ではなく

私に言われているようで 非常に不快であったし、

「裏切ってるし、傍にいる気ないし、頼るな」と心の中で思っていたし

「お腹の子が女の子だったら嫌だな」とか本気で考えていたら

ついに流産した。

 

それに対して母も継父も「まぁ一人(息子)がいるから良いじゃないか」という態度。

あの日、「お前たちが死ねばよかったのに」と本気で思ったのは

言うまでもない。

 

結局、正月明けの事故で1か月程度入院したものの、無事退院し、継父は職場復帰した。

 

その後、春に事故の後遺症かなんかでまた入院。

さらにその後は心臓の血管が切れたとか破裂したとかで9月に職場で倒れ、

救急搬送、すぐに手術となった。

 

このときは大変だった。

医師から継父の状況の説明、手術の説明などあるが母はおろおろして使い物にならない。

結局私が印鑑を押したり、手術・入院に必要な書類、その他もろもろをそろえた。

手術によって助かるかどうかは50%と言われ、家族を呼ぶように医師から指示された。

手術の間もずっと付き添った。 付き添いの間、身体が冷えないように、体力がもつようにと色々なものを用意した。

万が一、父が手術中に亡くなったときのことを考えて銀行に行ったり、調べものをしたりも全部ひとりでした。

 

 

うちの家族はバラバラである。

継父の連れ子である兄は20代前半で結婚したが、そのときにすったもんだあって、

兄と継父は絶縁状態だった。

同じく継父の実子の姉は 一応「姉」ということにはなっているが、継父と前の奥さんと離婚したときに奥さん側に付いていったが、姉が小学生ときに奥さんが亡くなり、当時の再婚相手に一旦引き取られたり、奥さんの実家に引き取られたり、なんかまぁ色々あって苦労人らしい。私とは2年に一度顔を合わせるかどうかの関係だったが、私の結婚を機にまったく会うことはなくなっていた。

 

そんな寄せ集めな「元家族」が継父が死にかけたのを機に10年ぶりくらいに集合した。

集合したのは もう夜9時過ぎで、継父の手術もおわってひと段落したころだ。

とりあえず手術は成功して、継父は生きていた。

兄と兄嫁は着いた早々姉に親しげに話しかけ、母には事務的な会話をし、

私に対しては「完全スルー」であった。

 

正直40過ぎた大人がそんなことするのか?と思ったが

私の両親が私にしたことについて 思い返すと

「よくまぁ 子どもにそんなことするな 畜生め」と思う。

きっと兄も同じだろう。

母のこだわりHOUSEに入れてもらえなかった兄としては

母のこと(兄にとっては継母)や 私が憎いだろう。

自分の実父を奪った 私達母娘など憎悪の対象であたりまえだ。

 

とは言え、無視された私はイライラモヤモヤする。

この大変なときに母を支え、雑用をすべてこなしたのは私である。

「大変だったね。」の一言くらいあってよいのではないか。

そう思いながら、家に帰った。

そして、手術の翌日から私は寝込んだ。

 

それからすぐのことだ。

母から電話。

「お父さん(継父)に女の人が居た…。」と。

「もう私の事を愛してくれている人が誰もいない。

あなたもあれ以来病院に来ない。お兄ちゃんはお花をもってお見舞いに来たのに。

お父さんもあなたも私のこと好きじゃないなら、もう居る意味がないから

私は今から死にます。 家で死ぬとあなたに迷惑かかるから(私の夫が保証人になっていた)、今からどこかに行って死にます。」

 

そう言って、どこかに行ってしまった。 

 

その電話を受けたとき、正直「死ねばいい」そう思った。

しかし、口では「なんで?は?なんか美味しい物でも食べたら?」と言っていた。

心では「死ねばいい」と思ったが、口では言わなかった。

ただし、口でも「お母さんのこと好きだよ」とも言わなかったし、

心でも思わなかった。頭でも考えなかった。

ただ、面倒くさい

そう思った。 

ここで探さないと、私は薄情と思われるんだろうな。

死んだあと、後味悪いんだろうな…。

そう思った。

息子に夕飯を急いで食べさせ、大通りまで歩き、タクシーで母の住む家に行った。

「息子の夕飯を食べさせなければ。大通りまで行けば、タクシー代が少し安い。」

そんなくだらない理性が残っていた。

 

家に行ったが母は居なかった。当たり前である。

私は本気で探す気がなかった。

その後、継父がいる病院に行った。

「お母さんが死ぬって言っていなくなったから。急いでお父さん(継父)のところに来たよ」

 

それに対して せっかちな継父は私の言葉をよく聞いてなかったのか、こう言った。

「おおっ そうか!そうか!オヤジさんに連絡したか!」

 

オヤジさん=私の実父である。

 

この瞬間まで、私のお父さんは継父だけだと思っていた。

もちろん育ててもらったという義理もあったし、5歳で別れた実父よりも30年近く一緒にいた継父の方が「お父さん」だったからだ。

しかし、継父の方はちがったようで

私の「お父さん」は自分だとは思わなかったようだ。

 

この時、「ああ、この人とは最後まで親子になれなかったな」と絶望した。

 

 

お腹の子を亡くし、

父を失くし、

母も居なくなろうとしていた。

 

 

 

 

さすがに長くなったので切ります。。。