毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

幼いころに可愛がってもらった母方の祖母が死んだときの話。

つい4か月くらい前に母方の祖母が死んだ。

幼いころ 可愛がってもらった。

 

しかし、私は祖母の死に対して非常にドライで

周りからは まさに非情に映っただろう。

 

死の数か月前から「危篤」とか「そろそろ危ない」とかいう

連絡は来ていたが お見舞いに行く気が起こらなかった。

その度に私以外の親族が集合していたらしく

そのくせ 一番かわいがってもらっていた私が来ないという異常事態。

「なぜあいつは来ないのか」

と 実母が責められていたそうで、

「おばあちゃんには可愛がってもらったでしょ?」

「おばあちゃんがあなたに会いたがってるみたい」

「わたしが責められるから お願いだから来てぇ~」

というもはや意味不明な電話が実母からかかってきたりしていた。

 

なんて都合が良い言い分だろうか?

私には母方の祖母以外に

父方の祖母も居たはずだ。

それを自分たちの都合で取り上げておいて

何を言っているのだ。

私は怒りに震えた。

 

 

しかし、死の一週間程前に

「そろそろ危ない」の連絡。

自分でもわからないが

なんとなく 

息子を連れて病院へ行った。

 

まさに死にかけている祖母はミイラのようだった。

ふっくらして 目が輝いていた頃の祖母はなく

ただ、ミイラのようにやせこけ、いろんな線に繋がれ 

手の甲には点滴の針がささり、そこは紫に変色していた。

 

そんなミイラに実母は一生懸命話かけるが

私はそんなミイラとコミュニケーションをとりたいとは思えなかった。

 

親族が全員集合した時点で 私は帰った。 

 

なんとなく、数日後に家族で見舞いに行き、

ただ数分ミイラ静かに見つめて帰った。

 

それから数日後、祖母はなくなった。 

 

通夜には参列せず、

葬式に少しだけ出た。

火葬場には行かず、葬儀場から見送った。

 

間違いなく私は薄情だろう。

3人いる孫の中で一番かわいがられた私はこんなんで、

逆に一番適当に扱われていた従弟が一番熱心だった。

 

幼いころ 可愛がってもらった。

 

と言う事実も 結局のところこうだ。

warumix.hatenablog.com

 

「自分が親になってみて 親のありがたみが分かる」

と、良く言われるが。

私の場合、 いや 毒親育ちの場合

「自分が親になってみて 親の異常さが分かる」

方が多いだろう。

 

自分が親になってみて…

危害に与える可能性のある者になんか子どもを近づけたくない。

 

「かわいがる」のは誰でも出来るが

「守る」のは難しい。

 

祖母は私をとても「かわいがった」が

守ってはくれなかった。

寧ろ 自分の都合で傷つけた。 

ミイラと化した祖母や 

既に死んでいる祖父が私の息子に危害を与えることはないだろうが

実母もまた息子を「かわいがる」が守りはしないだろう。

親族は?

父親が居なくなった私を慰めてくれてはいたが…

その後、グレードUPした我が父(継父)が現れた途端

手のひらを返したことは未だに覚えている。

そんな人間たちは息子に必要ない。

 

だから、私はまともに見舞いにも行かないし、葬儀に参加しない。

その後の仏事にも参加しないだろう。

 

「血のつながり」

なんて、もろいと思う。

頭のおかしな姉が弟を殺したり、

親族間の争いだったり、そんなもの日常的にあるじゃないか。

「血のつながり」が本当に大切ならば

私の父方の親族のことはどう処理すればよい?

 

結局のところ、

血がつながっていようと、なかろうと

「信頼関係」があるかないかではないか?

 

私は不幸にも幼少期に身近な大人と「信頼関係」を結ぶことがなかった。

 

「いざという時に この人は私を守ってくれる」

 

そんな信頼関係がなかった。

 

このブログを読んでいる方の中でも

「薄情な人」

を見かけること、付き合うことがあるかと思う。

そんな時に

「薄情だ」

と非難するわけでなく

あなたが悪いとか 相手が悪いとかでなく

ただ「信頼関係の問題かもしれない」

と、頭の片隅に置いていただけると幸いだ。