毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

そもそも母親を信頼してなかったよなって思う。

久しぶり?に毒親ねた。

ネタの中でも わりと重い方に入るので中々書けなかったこともあるかも。

 

5歳の夏~秋頃 両親が離婚した

最初の1~2か月は

実父が月に1度くらい会いにきていたが

 

ある夜 突然 実母と母方の祖母に連れられて

実父の実家に行った。

そして 大人同士なにやら話し合いだか お願いだか 

何かが行われ

私はその日から 実父に実家で父方の祖母と実父と暮らすことになった。

父方の実家には何度も来たことがあったし、父方の祖母のことも大好きだった。

しかし、ある日突然 何の説明もなく連れて来られ

翌朝から突然 保育園に入れられる。

保育園で使う道具や制服は 実父から新しいものを買い与えられ

もはや何が何だが分からないまま新生活に突入した。

記憶が曖昧ではあるが、年長の秋頃だったと思う。

 

 

 

いいこともあった。

 

実母のところにいたときは 生活が不規則で

保育園にはほぼ毎日遅刻していた。

そのため ほぼ毎日朝から保育士に怒られていた。

また、お迎えも遅く、最後の3人の常連だったし 一番遅くまで残っていることも

ざらだった。

一番遅かった日の記憶は…保育室を閉められ、しょうがないので職員室の片隅で折り紙を折っていた。

帰り道は大抵実母の機嫌が悪く押し黙っていたし、たまに母方の祖母が一緒だと

延々と祖父の愚痴(たいていは女性問題)が話題の中心で、そこに幼い私が入る余地は全くなかった。

ただただ、大人たちの話を聞くだけで 存在を殺していたと思う。

週末は週末で 祖母の買い物に付き合うことが多く、結局そこでも大人中心の

生活。色々なものを買ってもらったが「楽しい」という感覚はあまりなかった気がする。

 

なので、

父方の祖母の実家で暮らすことになり

保育園には一番に登園させてくれ、みんなと同じくらいの時間にお迎えにきてくれる祖母が大好きだったし、

保育園からの帰り道にスーパーや商店に寄り道して帰る 穏やかな日々を満喫していた。

週末には従妹たちが泊まりにきたり、逆に泊まりにいったり

潮干狩りに行ったり お花見に行ったり 少し遠くの公園に遊びに行ったり

そんな平和な日常がそこにはあった。

 

ただ、母親が居ない 

 

それだけで あとは生まれて初めて味わう「子どもらしい生活」だったと思う。

今でも我が子に与えたいと思うのは 父方の実家で経験させてもらったような

ことで、特に好きでもないのにホットプレートを出してホットケーキを焼いたり

している。

 

「母親が居ない」

それだけが不自由だった。

保育園の親子遠足のときに

「おばあちゃんじゃ嫌だ」と駄々をこね わざわざ親戚のおばさんに仕事を休んで

来てもらつた。

「毎週 従妹が泊まりに来る もしくは 泊まりに行く」というルールが

なにかの理由で実行されないとなったときも

ダダをこねた記憶がある。

自分自身の記憶なので 自信がないが…

私は母の元で「駄々をこねる」「わがままを言う」タイプの子どもではなかった。

今思えば ヒステリーな母親から離れ、安住の地を得たことで

周りをためしていたのかもしれない。

そして、最終的にわがままに付き合ってくれた大人に感謝である。

 

父方の実家で暮らしていた間

母から小包が届いたり(手編みのセーターと本、本はなぜか「おなはし 小学2年生」のような「小学2年生」を対象にした児童書だった)していた。

 

住んでいたのは 公園が隣にある団地の3階で 窓からは公園が見える。

ある日、何気なく窓から公園をみたら 実母が眺めていた。

気付いてから 祖母に「ママが居る!」と伝えたが

祖母はいつもとは違う微妙な表情で「くみちゃんじゃない?」と言う。

(くみちゃんというのは 近所の子ども)

今思えば 祖母としては 私を母親に会わせたくなかったのだろう。

しかし、私はそんなことはお構いなしに 公園へ走った。

 

実母との会話の内容は覚えていないが

たぶん「元気にしてる?」とか「言うこと聞きなよ」とかそういうことだったと思う。

割と短時間で別れ、私は泣くこともなく団地の部屋に戻った。

 

それから 数時間して…

今度は実母が母方の祖母を連れてきた。

今度は 実母の車に乗せられ、実母と暮らしていたころに良く通る国道沿いのすかいらーくへ行く。

そこで 以前のように 祖母と実母との3人で食事をする。

私は から揚げとフライドポテトがセットになったものがお気に入りだった。

 

そのまま 実母の家に帰って また実母と暮らすのかと思った。

父方の実家に行ったときが そうだったから。

 

しかし そういうわけではなく、

食事が済むと 私は父方の実家に送り届けられる。

団地の横の公園で車を下ろされる。

 

私はたぶん 泣いていた。

 

そして、泣きながら 母の赤い軽自動車を追いかけたが

いつも自分が乗っていたはずの 赤い軽自動車は 止まることなく

そのまま行ってしまった。

 

 

結局 それから数か月して 突然 実母との生活が始まることになる。

このころ私は完全に疑心暗鬼になっていて

口には出さないが

「どうせまた突然父親のところにおいやられるのだろう」と

考えていた。

当時の事情はさっぱり分からないが

私自身としては 両親が私を互いに押し付け合っていると感じていたので

またいつか突然に実父の実家に行くことになると思っていた。

 

後日談としては その後実父や その実家に行くことはなく

1~2年後には「新しいお父さん」が登場し、物理的に落ち着いた生活に

変わっていくが…

 

大人になってから振り返ると

あの時点で 私は母親との信頼関係は崩れていたのだと思う。

表面上は30過ぎるまで「仲良し親子」をやってきたが

6歳だった あの日に 信頼関係は崩れていた。

あの人は 私を置いて車を走らせることが出来る人なのだ。

 

 

気付いていた癖に 見えない振りをした代償は大きい。