毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

子どもに習い事を沢山させることについて思うモヤモヤ

たまには子育て主婦っぽい話。

 

小4の子どもがいる。

なので、普段しゃべったり遊んだりする相手は大抵子持ちの女性だ。

たまに男性とも飲みに行くこともあるが やはり相手は大抵子持ち。

 

そんなわけで、誰と会っても話題は「子ども」である。

 

そんで、その「子ども」の話の中でも頻出なのが「習い事」について。

 

我が子は今 山村留学に出ているので現在習い事は全てお休み中。

行く前は

ガッツリ運動1つ(週1 1時間)

パズル系1つ(週1 50分のうち30分がプリント 残り20分は子ども同士で対戦型パズルゲーム)

ダンス1つ(週1 50分 公民館でやってる 超ゆるいやつ)

 

数は多い(?)がガッツリ運動以外はゆるい。し、安い。

しかも、ダンスに関しては飽きたらしく 来年度はやらないそうだ。

 

本音を言えば プログラミングもやらせたいし、英語もやって欲しいし、欲を言えば音楽系も入れたい。

 

しかし、我が子は私でないし

基本的に本人にやる気がないものをやらせても何の効果もないのじゃないかと

本気で思っているし、お金もないし、そもそもいろんなことを沢山やっても

成果もなにもないんじゃないか。

私の小学生時代の友人は 週5で習い事をし、習字にピアノに英語にピアノにドッジボールと忙しくしていたが 結局中途半端な音大にいき、近所の小学生相手にピアノの先生をしている。ピアノの先生と言えば聞こえはいいが、時給に換算すれば単価は高いがコマ数がないので、結局月収は10万円にも満たないらしい。

 

そんなわけで我が家は

本人が「やりたい」と言うもののみで構成し、

「やめたい」と言えば 辞めていいことにしている。

 

 

本人が嫌がる習い事を続けさせることについての考えかたの一つとして…

「嫌なことから逃げない根性を養う」とか

「最初は嫌いでも 段々慣れてくる」とかあるが

なんでそんな社畜制度を維持させるためのだけのような人間を自ら作らねばならぬか?

と甚だ疑問である。

 

そんな中

たまたま習い事で一週間埋めている人と

これから埋めていきたい人とおしゃべりする機会があった。

 

一週間埋めている人の主張

・小学生の間にいろんなことをさせてみて適正をみたい。

・なので、中学に上がる前に間引きしていく。

 

うん、わかる。

しかし、現在小4で間引きの時期に差し掛かっているにも関わらず

中々辞められないのだと言う。

習い事の先生との関係性や いわゆる「コンコルド効果」ってやつ。

子ども本人は「やめたい」と言っているらしいが

そんなこんなで辞めるのを延ばし伸ばししているそうだ。

なんだそりゃ。

 

もう一人は

4歳児のパパで 

自分たち夫婦に学歴がないから 息子には学歴を是非!!!!!!!!と。

そんなこんなでお受験予定でお受験の塾以外にプログラミングや英語も~それに~ 

と、夢見るパパさんだ。

 

私には他人の育児にとやかく言う資格はないので特に何も言わない。

だからこそ、ここでこうやって一人で消化しているのだが

現在、学習塾で軽くパートをしているので

やはり 習い事パンパンな子に関しては色々思うことがある。

 

たとえば

仕事(8:00-16:00)が終わったあとに

週3でローソンでバイト。

週2でディズニーランドでバイトする

なんて生活出来るだろうか?

仕事は単純作業の繰り返しだけど、人間関係が煩わしい。

ローソンは仲の良い人がいるから楽しいし、ディズニーランドはテンション上がるから働いてるって感覚がない!お金も貰えるし大丈夫!大丈夫!

って仮に思ったとしても 

そんな生活長く続けられる?

 

子どもは生まれてからの時間が短いので

多少の苦痛があっても「あ、こんなもんか」と受け入れるし、

習い事自体は楽しいかもしれない。

しかし、「自由な時間がない」「休む時間がない」というのは

私なら嫌だ。

 

・何かをする

・それによって思いつく

・実際に行動に移してみる

 

私はそんな時間が欲しいし、特に子どもには そんな時間を大切にして欲しいと思う。

 

 

そして、なにより スケジュールパンパンでストレスフルな状態で

習い事に来て 私に八つ当たりするのは辞めて欲しい。

子どもが「キーキー」ヒステリーを起こす様は

見ていてとても切ないものがある。

 

結局のところ

私のモヤモヤの核にあったのは

辛い状況の子どもを見るのは

悲しい

 

それだけだ。