毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

やたらとメディアに出たがる理由

割と近しい人のところに

「CLASSY.に出ませんか?」という話がチラホラ来ているそうだ。

なんだそれ、うらやましい。

彼女たちはどうやらお断りしたそうだが、私なら喜んで出ただろう。



私は現在 普通の主婦なので

特にテレビや雑誌に呼ばれることはないが

今まで何度か出たことがある。

少々奇抜な注文住宅を建てたときに家のTV取材でローカル番組に「家主」として2度程出たのと、若くして家を建てたとしてローカルのフリーペーパーの持ち家特集のようなものや「節約上手」として全国紙に合計3度出た。

 

「出たがり」

といえば出たがりなのだが、たいてい自分の写りの悪さに凹むし、そうなることもわかっているので 凹むのにわざわざ出ることもないのだが…。

 

私には「生き別れ」の親族がいる。

実父や祖母(年齢的に死んでるかも)

父方の従妹たち

 

とくに実父に会いたいとは思わない。

ブルーカラーでパチンコや競艇に家族で行くような男だったし

多分 年齢以上に年をとり、外見はボロボロだろうと思う。

高校生くらいのときに読んだ伊集院静の「乳房」という短編集に 離婚して離れた娘と

一緒に野球かなんかを見る話があった。(うろおぼえ)

当時、こんな感じのお父さんだったら会いたいと思った気がする。

しかし、きっと真逆だろうな。。。と思いなおした思い出。

 

祖母には会いたかった。

多分死んでるけど。

実父に関してもだが…

あえて会おうとしないのは 継父に恩があるからだ。

 

従妹たちには小さいころよく遊んでもらった。

私が年長さんのころ 彼女たちは確か小4と小3だった。

けいこちゃん と なおみちゃん

彼女たちにとって私はわがままな従妹だったと思うが

私が突然 彼女たちの前から居なくなったことを

彼女たちは子どもながらにどう消化したのか気になる部分はある。

 

しかし、探してまで会いたいかと言われたら微妙だ。

今更なにをどう話していいか分からないし、

実父(彼女たちからしたら叔父さん)とは違う男の娘として生きている私を

彼女たちがどう見るか?と思うと少し怖かった。

 

そんなこんなで 「生き別れ」てから30年以上経過した。

 

5.6歳の頃のおもかげもないほどにおばさんだし、

苗字も変わり、インターネットの力を使っても繋がるのは困難だろう。

 

ただなんとなく…

私の存在をふと思い出してくれたら…と思う日々の中

メディアに出るチャンスがあれば ほいほいと応じている。