毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

中学受験の思い出 その2(6年生前編)

6年生になったころには

元々アホだったくせに 私はすっかりエリート気取りだった。

勉強出来るし、親はそこそこお金持ちだ。

兄は国立中から公立トップ高にはいっていたし 一番いい時期だったのかもしれない。

〇〇館自体は中堅の塾だったがそれでも6年生だけで数百人おり 私はその中で常にトップ10入りしていた。

塾でのクラス分けは成績順で決められていて、S A B Cの4クラス。

生徒の間ではSクラスは天才クラスと呼ばれており Cクラスはバカクラスと呼ばれていた。

天才クラスの私は他のクラスの子から気持ち悪いだの化け物だと言われることもあったが満足だった。

「お前たちと私は違う」と本気で思っていた。

天才クラスは女子が少なく、女子同士とても仲良かった。

Gさんという常に1位をとる女子と気が合い、授業前はいつもおしゃべりしていた。

Gさんは私とは違ってがり勉タイプではなく、私みたいに成績が良い事を鼻にかけないナチュラルな子だった。

Gさんのお迎えにはいつもお父さんが来ており、授業終わりにお父さんと見送りの塾の先生が話込むのが決まりの様になっていた。 

さて、母の方は 私を志望校に確実に入れるために必死になっていた。

通っていた〇〇館は月に一度の習熟度テストしかなかった。

そのテストでトップ10入りしていれば志望校は確実と言われていたが、

それだけでは母は心配なようだった。

夏前から志望校用の模試を数か月に1度実施している大手の進学塾へテスト生として通うようになった。

大手の進学塾は四谷大塚と提携していた。

母は「四谷大塚」というブランドが気に入ったのかわからないが よく「四谷大塚」を連呼していた気がする。

あれはなんだったんだろう。

大手の進学塾で受ける志望校用の模試でも私の成績は良かった。

流石に10位以内とは言わないまでも成績優秀者として名前が載る程度によかったし、

合否判定も常に合格確実なA判定だった。

私は非常に嬉しかったし、母も満足そうだ。

 

夏の終わりか秋の始めか… そのあたり

私は 通っていた〇〇館でGさんを抜いて1位になった。

丁度同じころ、大手の進学塾での模試でも一桁台の順位になっていた。

もちろん 志望校への合格判定はA判定のままである。

 

Gさんの態度は変わらなかったが

Gさんのお父さんはお迎えのときに先生と話し込むのを何故か辞めてしまった。

それを見た母はとてもうれしかったようで

しきりに「ほら!今日もGさんのお父さん居ないわ!娘が1位じゃないと恥ずかしいのかしら」と意地悪そうに言っていたのが忘れられない。

 

多分 このころが私の学力のピークだった。

 

私も母も完全に調子に乗っていた。

 

大手の進学塾では志望校用の模試を受けているだけだったが

「全国模試を受けませんか?」という案内が来た。

確か11月。

母が大好きな「四谷大塚」の公開テストである。

 

今まで受けてきた模試やテストは県内かせいぜい近隣地域の小学生だけしか受けていないものだ。

それが全国となるとどの程度上なのか、私は自分の成績が楽しみだった。

母も同じ気持ち…いや、それ以上に期待しており、

「ねぇ もし桜蔭とか受かっちゃうような成績だったらどうする?」

「もしあなたが桜蔭とか受かっちゃったらどんなことしても入学させるから!」

と、うれしそうにいい、合否判定の欄に「桜蔭」と「いつもの志望校」を書くように

母から指示された。

お花畑もここまでくると本当にひどいが、当時の私は桜蔭がどんなところかも全く知らないので適当にスルーしていた。まぁ地方在住なので 今も知らないが。

 

さて、大変楽しみにしていた「四谷大塚」のテストは散々だった。

今まで見たことのない問題が目白押しで半分も解けない。

さっぱり分からない。これが全国レベルかと愕然としたが、

私が解けないものはみなも解けないだろうと思っていた節もあったりして

期待と不安が半々だった。

しかし、ふたを開けてみるとやはり散々。

自分の成績で初めて偏差値48というのを見たし、合否判定でA以外がついたのも初めてだった。

Eなんて文字が自分の成績表にあるなんて信じられなかった。

桜蔭 E  

当たり前だ。

それは良いとして、今までA判定しかもらったことのない志望校の判定までもDだかEだかとにかく散々だった。

 

母は発狂した。数日間寝込んだ。本当に。和室の仏壇の前に布団をひいてわかりやすく寝込んだ。(普段は寝室のベッドで寝るが寝込むとリビング横の和室で分かりやすく寝込む) このままでは志望校に不合格になってしまうと本気で思っていたようだ。

当時、私は小学生だったので分からなかったが

ある程度大きくなったら分かった。

偏差値とは母集団やテストの難易度に左右されるものであり、別々のテストの偏差値を比較しても意味がない。

今まで受けていた志望校用の模試で合格判定を安定してもらっており

通塾中の〇〇館でも10位以内に入っていれば志望校に合格すると言われ続けていた。

私の成績が急激に落ちたわけではなく、ただ単に今まで受けていた模試やテストと母集団、難易度が著しく違っただけなのだ。

だから いくら「四谷大塚」のテストだからといって落ち込む必要はない。

 

しかし、母にはそれが理解できない。

寝込んでる間「大手進学塾に転塾しよう」というようなことを破れかけのオブラートに包んでぶつけてくる。

予想問題の的中率がいいとか、試験会場に旗をもって応援に来てくれるとか、試験会場で「合格切符」というものを通塾生に渡してくれて、その合格切符がとても良いらしいとかいいながら冬期講習のパンフレットを見せる。

 

私の本心としては「今更冗談じゃない」と言う気持ちでいっぱいだし、

第一、今まで世話してくれた先生に申し訳ない。

しかし、目の前にいるのは 分かりやすく寝込んだ母である。

 

とうとう根負けし 母に

「冬期講習の算数の時間が大手進学塾の方が多いから…こっちに行こうかな…」と

告げた。

その時、母は泣き笑いのような表情をして

「さすがね」と言って 私の決断を褒めてくれた。