毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

「人間ポンプ」だった頃の話と「人間ポンプ」から「人間」になった話。

「人間ポンプ」という言葉をご存知だろうか?

 

生きている金魚を丸飲みし、片腹をポンっとたたいて 

飲み込んだ金魚をおえっと吐き出す芸である。

 

私が小さいころ、この「人間ポンプ」芸をするおじいさんが

時たまテレビに出ていた。

 

(昭和感がたまらんな…と思ったが、最近若い芸人さんが

金魚ではないが、「人間ポンプ」をやってるらしくそれはそれでビックリした。)

 

で、その人間ポンプのおじさんをみるたびに私は

「私にも出来る!!」 

と思っていた。

 

私は物心ついたときから 食べたものが口に戻ってくる体質だった。

反芻みたいな感じだろうか。

食べてから1時間以内くらいに 食べたものの一部が口に戻ってくるのだ。

胃酸がまじってないので、ふつうに食べたときと同じ味。

なので、そのまま飲み込む。

ずっと当たり前だと思っていたし、子どもだったのであまり深く考えていなかった。

 

保育園のとき。

給食で嫌いなものが出ても、完食しないといけなかったので大変だった。

せっかく頑張って飲み込んでも すぐに口に戻ってきてしまう。

そういうわけで、嫌いなものが戻ってきたらトイレで出していた。

一度、トイレで吐き出すときに失敗して 便器に一部ついてしまったことがあった。

私が通っていた保育園の先生は、ほぼ全員ヒステリーで恐ろしかったのだが

その時は「大丈夫?気持ち悪いの?」と心配してくれたのでびっくりした。

恐らく、私はあの瞬間に「吐き出したら大人は心配する」ということを学習してしまったのだと思う。

 

小1のとき。

私の中で野ゲロブームがおき(今考えても意味不明)

学校帰りに同じ電柱のところでちょっとだけ吐いていたことがある。

多分3日間くらいだったとおもう。

しかし、4日目にその電柱近くの民家の窓から その家の人が怖い顔して電柱を見ていたので それ以来野ゲロは辞めた。

(申し訳ありませんでした)

 

時系列がぐちゃぐちゃで申し訳ないが、小1くらいのときに母が再婚した。

継父と一緒に暮らすにあったって 継父の連れ子(兄)をどうするかという問題で揉めており、周りで大人たちが騒ぐ度に私はわざと口から食べ物を出していた。

兄は結局、継父の実家で暮らすことになった。

 

その後 生活が落ち着いて来たからか、単に胃の機能が成長したからかわからないが

徐々に反芻することは少なくなってきていた。

しかし、その気になればいつでも口から出せる。

 

中3のとき。

私はMAXに太っていた。身長153センチで55キロ。

元々骨格が小さいし、運動を全くしてこなかったので脂肪だらけでぶよぶよだったし、

顔に肉が付きすぎて目つきもわるかった。

ついでにニキビも酷く、おまけに分厚い眼鏡までかけていた。

そんな不細工のピークの最中、姉が出来た。

継父の前妻が亡くなり、前妻が連れていた子どもが継父の方に来たのだ。

兄は継父の実家に居り、姉は結局前妻の実家に行くことになった。

但し、経済的にはもちろん継父が援助するので 

母の機嫌は非常に悪かったし、また姉が美人なのだ。

姉はほっそりした薄幸美人だった。

そして母は私に「痩せたら可愛くなる」と言い続け、母は痩せる方法を教えてくれた。

「私が痩せたときは、何も食べずにウーロン茶を浴びるようにのんだわ」

なぜか継父も痩せる方法を教えてくれた。

「お父さんが痩せたときは、一週間キャベツだけで過ごした」

要するに二人は

「根性があれば痩せられる」と。

 

少しずつ食べる量を減らした。

だんだん食べることに罪悪感を持つようになっていった。

しかし、たいして痩せなかった。

そんなときに母が

「ロシアのバレリーナは食べたものを吐いてまでして痩せるんだって」

というような話をしてきた。

恐らく母は

「そんな辛い思いしてまで痩せようとする根性」

を私に伝えたかったのだろうが

私は吐くのが苦痛ではない。

吐くことが苦痛ではないことを母に伝えると

「ふーん、いいんじゃなーい」みたいな軽いノリだったので

私はそれから食べたものを吐き出すようになった。

 

「吐く」ということについて母は特に否定はしなかった。

たまに「いい加減にしなさいよ~(トイレが汚れるから)」という程度だった。

しかし、私の方はだんだん精神が病んで来ていた。

当たり前だ。嘔吐は立派な摂食障害である。

結果10キロ痩せたが完全に情緒不安定だったと思うし、奥歯は全て銀歯になった。

ただし10キロ痩せたことで、積極的に吐くことはなくなったが

食事を全て身体に入れるのは罪悪感があるので、食べたうちの一部を吐く という

カジュアルな吐き癖として続いた。

 

高校のときに保健の先生にカジュアルな吐き癖を打ち明け、相談した。

保健の先生から心療内科の受診を勧められた。

当時は「心療内科」は今のようにメジャーではなく、「精神科」と同じイメージだったと思う。

「精神科」=ヤバい人 みたいな。

母に「保健の先生から心療内科を勧められた。だから受診したい!」と伝えてみたが

母の反応は悪かった。

「あなたはおかしくないから、そんなところ行かなくていいわよ」

の一言で終了した。

今考えたら、私は「病気になること」によって母に心配して欲しかったのだと思う。

結局 私のカジュアルな吐き癖は治らず そのまま大人になった。

 

大人になってから母に聞いたのだが

「うちの娘に変な病院を紹介しないで!うちの娘はおかしくない」と保健の先生にクレームを入れていたそうだ。

 

実家にいるときはまだ「カジュアルな吐き癖」で済んでいたのでまだよかった。

 

就職して、東京で一人暮らしを始めた。

研修期間はとても楽しく、自分でも驚いたのだが7年近くほぼ毎日続いていた「カジュアルな吐き癖」がピタリと止まった。

しかし、研修が終わり、配属されてしばらくするとまた再開する。

実家にいるときは食べる量については家族の目があるので ある程度自制が効く。

一人暮らしになったことでそれがなくなった。

「カジュアルな吐き癖」から嘔吐に悪化していった。

中学のときから時たまあった片頭痛も酷くなったこともあり

心療内科」を受診した。

 

そこで、「ストレスからくる軽い欝」とかなんとか診断されたかどうか すっかり忘れたが 欝に効く新薬と胃薬を処方された。

 

新薬はちっとも効かなかった。

飲むと凄く眠いし、だるい。

それでも飲み続けた。

 

丁度そのタイミングで 当時、付き合っているのか付き合っていないのか曖昧な関係の男性から酷いことを言われ(曖昧な時点でアレであるが)

その日から食事が一切喉を通らなくなった。

 

味噌汁などの水分だけの食事と新薬で 眠気とだるさはピークに達し

とうとう会社で倒れた。

同僚や先輩は心配してくれたが 私が欝の薬を飲んでいることを伝えると腫れものを触るような対応に変わり、とても嫌だった。

そんな中 薬学部出身の先輩が

「欝の薬なんてどうせ効かないんだから 飲まなくていいよ」と。

確かに、元々の片頭痛とカジュアルな吐き癖という症状から 眠気とだるさで会社で倒れるというところに悪化しているのは新薬のせいだと思い、そのまま断薬した。

 

欝で服用したことがある人にはわかると思うが

断薬はキケンである。 

 

この頃のことは 記憶が飛び飛びになっていて自分でも当時のことはよく覚えていない。

ただ、今でも鮮明に覚えているのは

窪塚洋介がマンションの9階から飛び降りたニュースを一人で見ていたときのことだ。

私はマンションの7階の1LDKに一人で住んでいた。

その部屋で窪塚氏の事故当時のシュミレーション映像を繰り返し映し出すテレビ画面をみていたら

私も飛び降りなければならない気がしてどうしょうもなくなった。

自分でも全く理解できないが

死にたかったわけではない。それなのに身体がバルコニー方向へ引っ張られるような気がして恐ろしかった。

必死にベッドをつかみ 泣きながら抵抗していたが、私には窓の方へ吸い寄せれる自分の姿がシュミレーション映像のように繰り返し見えていた。

 

丁度そのとき、友人から電話がかかり、正気にもどったが

あの電話がなかったら…。もしかしたら私も飛んでいたかもしれない。

 

その後、仕事を辞め 実家に帰り、きちんと治療し欝は2年程で完治した。

しかし、相変わらず「カジュアルな吐き癖」は続いており 結局 そのまま

結婚した。

 

結婚して 夫と一緒に暮らすようになって驚いたことがある。

毎日、心が穏やかなのである。

細かい衝突はあるが、そこから夫と怒鳴り合いになったりはしない。

夫はなにかが気に入らないからと家中に不機嫌オーラをまき散らしたりしない。

夫は私が折れるまで自分の意見を主張したりしない。

 

 

夫と暮らし始めて「カジュアルな吐き癖」は完治した。

完治したと思ったとき、私はこれが人間らしい暮らしなのだと思った。

そして、やっと「人間ポンプ」から「人間」になったのだと思った。