毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

親の未熟さと理不尽な思い出

一時期は 母親に対して本気で「死ねばいいのに」とか思っていたが

最近は落ち着いて来た。

私は母が嫌い。だから 

ただ、関わらない。

それだけだ。

あちらが何か言ってきても

あたまのおかしな隣人程度にあしらっている。

 

「あたまのおかしな」とまでは行かなくても

普段 友人知人と付き合っていると「え?それってどうなの?」って思うことは

ないだろうか?

人によって程度は違うだろうけど

例えば…会社の同僚がW不倫中でしかもそのことに対してドやってる時とか

ちょっとしたズルを自慢気に語る人を見たときとか

多分「え?それってどうなの?」と私は違和感を持つと思う。

でも、大人になれば 違和感を持っても 「まぁ人それぞれだから」とか

「大人になれよー」とかで片付くし、年齢的には成人していても心が未成年な人がいることは理解できる。

もちろん 自分も含めてだけど大人の中にも「未熟さ」があることを認めることが出来る。

 

しかし、子ども時代は違った。

大人は完璧な存在だったし、特に母に対してはそう思っていた。

なので母に対して「え?それってどうなの?」と思っても反論はせずに

「正しい」と思いこむか

もしくは「理不尽な思い出」として腐らせるかのどちらかだ。

 

私にはたくさんの「理不尽な思い出」がある。

当時は「正しい」と思っていても

時間が経ち こちらが大人になったことで「正しくない」ことに気付いたことも

たくさんある。

 

母には姉がいた。私にとって伯母さんだ。伯母さんには子どもが2人おり

下の子は私と同学年の男の子だった。

小学校1年生か2年生の時の話だ。

伯母さんと男の子と母と私 そして私の兄の5人でちょっと高い和食店でランチをしたことがあった。

兄は継父の息子で、当時中学1年か2年だったと思う。

兄は中二病と反抗期の真っ最中だったのだろう、和食店で出されたオシャレな箸置きや

小皿などをさっと自分のカバンに隠して見せた。(精一杯悪ぶっていたのだろう)

それに対し、母と伯母の大人二人は

「きゃー お兄ちゃん、すごーい」

「わー 私の分も盗ってー」とおだてる。

結局、兄が箸置きなどの小物を盗んで帰ったのかどうか忘れたが

食事会はそんな雰囲気の中で無事に終わった。

そのまま兄は上機嫌なまま別れた。

こちらも何事もなかったかのように、大人二人と私と男の子はケーキ店に寄った。

大人二人がケーキ店でショーケースに向かってあれこれ注文している間

男の子はズボンのポケットに一生懸命ケーキ店の備品の小さなテーブルクロスを詰め込んでいた。

私を方をニヤリと見ながら。

そして、私も男の子がしようとしていることを理解し、ニヤニヤした。

買い物が終わり、ケーキ店を出てからしばらくして

男の子が得意げに ズボンのポケットからレースのテーブルクロスを伯母さんに差し出す。

「お母さん!見て!はい!あげる!」

 

 

男の子は伯母さんからも私の母からもこっぴどく叱られた。

が、

私には意味が分からなかったし、きっと男の子にもわからなかったと思う。

男の子がお兄ちゃんには盗ってっていってたじゃないかと小さな声で反論したとき

母がヒステリー気味に叫んだ

「お兄ちゃんは身内じゃない!!!!!!」

という言葉だけがずっと残っていた。

 

ある程度 大人になってからは あの時大人二人が言わんとしていたことが分かる。

兄は身内じゃない。

それだけだ。

二人は大人として未熟だっただけ。

 

理不尽な思い出は 親の未熟さを認めたときにやっと消化された。