毒親育ち、子どもを育てる

毒親の元育った私が子どもを育てた話。解毒に至る過程などもぼちぼち書きます。

ボドゲ大会に出て、花咲山に登頂していた話

本来ならば 青春云々の続きを書くべきところ、放置してすみません。

長い系は一気に書かないとダメね。

 

 

で、タイトル話。

 

昨日 夫と一緒にボードゲームの大会に出場した。

最近、夫婦でドハマりしてるドイツ生まれのボードゲーム

ハマった要素は色々あるが…一番は相場(株式投資)に似ている点。

細かいところは省くが、

初期配置の選びかたとか、ゲーム運びとかそういう部分で

かなり共通点があるんじゃないかと個人的に思っている。

 

 

warumix.hatenablog.com

 

でね、↑で力説しているわけだよ。

自分で。

人の意見なんて聞かずに自由にやるんだ!!今度こそ!!私!!って

宣言しちゃってるわけだよ。

なのにだ。

 

昨日の自分。

他のプレーヤーの感情に左右されまくり。。。

 

昨日は公式大会だったので 真剣に参加されてるプレーヤーさんにとっては

普段の一勝とは重みが違うのかもしれない。

一方こちらは

無邪気に楽しむ勢である。

 

ゲーム終盤で私がなにか点につながる行動をするたびに

なんやかんや発言されたり、感情を表現されたりすることで

完全に私の心は折れてしまった。

 

「ア・・・・私、別にそんなに勝ちたいわけじゃないんでどうぞ」

 

愛想笑いで相手に譲ってしまう自分いた。

 

大会中、そして終わってからも

「私は無邪気にゲームを楽しみたいだけなんだよなぁ」と

夫に愚痴っていたが

一晩中考えて そうではないと考え直した。

 

私は無邪気にゲームを楽しみたいわけじゃない。

 

本当は勝ちたかった。

どんな手を使っても勝ちたかったはず。

しかし、

それ以上にアレが出て来るんだ。。。

 

「花咲山」

花咲山って絵本。ご存知ですか?

花さき山 (児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ)


ざっくり説明すると自己犠牲の話だと私は思う。

(国語力ゼロなので、気になる方は書店でどうぞ。)

 

この絵本と私が出会ったのは小1のとき。

両親が離婚し、色々あったのちに実母と二人暮らしをしていたときだ。

実母は常にイライラしており、食べる物や着るものに困っていたわけではないが

精神的にかなり余裕がなさそうだった。

 

そんな中、この絵本と出会った私は 

「自分さえ我慢してたら それでいいんだ」と解釈してしまった。

それ以後、

実母がヒステリーで荒れる度に

下を向き、涙を流しながら時間が過ぎるのを待った。

実母が私の行動に期待するたびに

不本意でもそれに従った。

 

大人になったから、実母以外の人間から

目の前で大きな感情を見せつけられたことはほぼない。

仕事中 クレーマーやヒステリーに当たってしまう程度であり、

その批判や怒りの対象だって、「仕事」であり

「私の心からの行動」ではない。

 

要するに

私は昨日 久しぶりに

というか、実母以外の人間から

大きな感情を見せつけられたのだ!

(プレーヤーをディスってるわけじゃないよ。念のため)

 

その大きなエネルギーによって

私は再び花咲山に登ってしまったわけで。

 

昨日は凹んでいたが、

冷静に考えると 実際にお金が減ったり、人生変わっちゃったり、

時には死んでしまっちゃう(物理的な意味で) 相場の方がシビアなはずだ。

ただし、プレイヤー同士が直接会うこともなく、せいぜいPC画面越しでの

繋がりのため、それが見えないだけ。

人生かけての札束の殴り合いの方が恐ろしいのは、当然。

 

15年間 札束の殴り合いに参加していた私が(そっちも弱いけど)

リアルで簡単に負けてしまう。

 

でもね、その原因が分かったから

多分、私、強くなると思うよ。

 

 

若い頃に青春を経験していない中年女性の話。その1

世の中に 少女漫画のようなキラキラした青春を経験した人ってどのくらいいるんだろうか?

少女漫画みたいじゃなくても、少年漫画でもなんでもいいんだけど。

何かに打ち込んだり、仲の良い友達とキャッキャウフフしたり、彼氏彼女とイチャイチャしたり。

 

私だって、よくよく考えてみたら

学校帰りに友達とマックでおしゃべりしたり、友人とスノボしに北海道に行ったり、

それなりに経験しているので

全く青春していなかったわけではないのだが、心から楽しかった記憶がない。

 

その理由は 常に頭の中に「母がどう思うか」があったからだ。

マックでおしゃべりしていても

「〇時までに帰らないと。学校で勉強してて遅くなったことにしよう。」

北海道の件も

「この旅行でどうにか彼氏候補を見つけないと。なにかしら収穫をもってかえらないと」

という、今考えると全く意味不明なことに気をとられていた。

 

常に「何かの役にたつ」ことをしないと気が気じゃなく、純粋に「楽しむ」ことを考えていなかった気がする。

 

そんなわけで それなりに一応色々経験はしているけれども

「あー楽しかったなぁ!」みたいなことはなく、

よって、「あぁ!あれぞ正しく青春だったわ!」みたいな思い出もない。

なんとなく、常に追い立てられ

「勉強に役に立つ」とか「結婚相手見つけるのに最適」とか

そういった基準で行動していたのだ。

 

学生時代の楽しかった思い出も一つもなく。

前述のとおり、青春を経験していない。

もし、今 10代に戻れるとしてもお断りだ。

(今の知識や思考を持って戻れるなら考えるけどw)

 

そんなこんなで30半ばを迎えた私の話。

 

多分長くなるので ボチボチ書きます。

母親の「死」または「目の前から消える」ということがどれほど子どもに影響を及ぼすのか

最近、なんかわかんないけど

私のTL上に#のぶみ が現れる。

私も一応 幼児の母をしていたので

のぶみさんの存在くらいは知っているが

改めて#のぶみ 

ひでぇ。。。

 

息子が幼児の頃、

「良質な絵本」を1000冊だか10000冊だか読みましょう

みたいなキャッチフレーズ通りに大量の絵本を読み聞かせており

図書館や本屋の絵本コーナーにも通い詰めていたが

まぁなんか突っ込みどころのある絵本は本当に多い。。。

 

当時流行っていたのは

ちくわだか、ラーメン?だかが旅をする話とか

「汚ねぇな…」としか思わなかったし(個人の感想です)

地獄の様子が書かれているやつとか

「それ、今必要?」

「脅して言うこと聞かせるとか オウムじゃん」(個人の感想)

とか、そんな思い出。

 

で、流行っているけど、良さがさっぱりわかんない群に

のぶみさんの絵本も入っていたわけだ。

 

特に(悪い意味で)印象的だったのが

お母さんが死んじゃう話で、

そしてまた 私のTL上に流れてくる#のぶみでも

度々取り上げられる

お母さんが死んじゃう話。

(興味がある方は調べてみてくださいませ)

 

詳しいストーリーはともかく。

 

幼児、または子どもにとって母親の死・喪失がどれだけストレスになるのか

解ってやってんのだろうか。

って思うのは 私自身にトラウマと呼んでもいいくらいの体験があるからだ。

 

まず一つは

5,6歳の頃に一度母と離れていることだ。

 

warumix.hatenablog.com

 

 両親が離婚後 実父が家を出て行ったが、しばらくして私は実父と祖母がくらす実父の実家に預けられた。

幸か不幸か?数か月後に再び実母と暮らし始めることになるのだが

突然、自分の前から母親が消えるというのはものすごいストレスである。

この時のストレスがあるからこそ、私は数十年母に逆らうこと・母を見捨てることが

出来なかったのではないかと今になって思う。

「なんだかんだ言って 私は母が居ないとダメだ」

そういう思い込みがこの時に出来てしまったように思う。

 

 

そして、もう一つ。

恐らく 他人から見るとバカバカしいほど些細なことなんだろうけど…

母の死を意識したことがある。

 

私が小学2~3年生の頃の話だ。

当時は母は再婚し、継父が出来、

めでたく 両親+私の平和な家庭が築かれようとしているところだった。

3人の平和な食卓でその事件は起こった。

 

母が昨夜見た夢の話をしはじめたのだ。

母は話が上手い。

ちょっとしたことでも、情感たっぷりに大げさに話す。

大人となった今振り返ると、

その話の盛り具合は 「嫌われたくない」という不安感からくるものだったのだろうが

当時はそんなことわかるわけもなく

ただ 母の大げさな話を聞き続けていた。

 

「も~、いやな夢をみたのよぉ~ わるみがね、死んでるの。血をながして。なんかわかんないけど。

それでね、私、わぁぁぁ!わるちゃん!!!!一人にしないからね!!!!おかあさんもいっしょに逝くからね!!!!っていってね、その辺に落ちてるナイフでね

自分で刺してね 死のうとしたのよ!!

そしたらね、わるちゃんが起き上がってね!

わぁー おかあさんごめんなさい!!って。

ただ、いたずらで死んだふりしてただけだったのよね!!私を驚かすために!!

でも、私の方は 死のうと思って刺しちゃってるわけだからさぁ~

もう手遅れなのよ!!
もう!!なんでそんないたずらしたの!!って言いながら死ぬの~

わるみはね 泣きながら謝ってるのよ~

ふふふふふ。」

 

ああ、今思い出しても胸糞が悪い。

私のいたずらにより、母が死んだということだそうだ。

 

話した本人からしたら たいしたことではないのかもしれない。

しかし、死の原因を押し付けられた私の方はたまったもんじゃないし、

あなたのために死んでしまうくらいに私はあなたを愛してますよ 的な

アピールがたまらなく嫌だ。

 

夢の話に目くじら立てて怒るようなことでもないし、

そのときは怒りについてはコメントせず、

「確認くらいしたらよかったのに」と冷めたことくらいしか言ってないと思う。

しかし、あれから30年近くたった今でもこうやって覚えている程度に腹立たしい。

 

おそらく…のぶみさんの絵本ってこういうことなんだと思う。

「死」を使い、自分がどんだけ子に愛情を持っているかをアピールし、自分が

子どもからどれだけ愛されているのか確認しているのだ。

なんて残酷なんだろう。

 

ただの想像でしかないのだけど、

あの絵本を喜んで子どもに読んじゃう人って

自分に自信がないんじゃないかと思う。

子どもを愛している自信もなけりゃ、

子どもから愛されている自信もなんだろうな。

それで、あの絵本でお互いの愛情を確かめてしまうんだろうな。

 

かわいそうに。

 

 

 

夢の中での歌丸さんとのお話。

意味不明なタイトル&意味不明な私の夢の話なので恐縮なのですが

 

数日前に夢を見ました。(寝て見るやつ、念のため)

 

畳の部屋に白いお布団がひいてあって

その中には緑の着物の歌丸師匠。

若い時ではなく、割と最近のお姿で

鼻には酸素?チューブがついていて

痩せて(もともと痩せてたけど) よぼよぼ。

 

そんな歌丸師匠が

お布団の片方あけて

お出で、お出で と手招きしてます。

 

その手招きに従い、お布団にはいると

よぼよぼの老人の手で頭をなでてくれました。

それは 小さい子どもにするような

「よーし、よーし」みたいな感じで

よぼよぼの歌丸師匠は 優しい口調で

「たまたま親という役割に生まれただけで、中身が親とは限らないから

そんなやつは気にしなくていい」

 

そこで目が覚めました。

 

で、なんで歌丸師匠出てきた??

 

以下は後付け。

夢の中で 歌丸師匠は私のおじいちゃん的存在だった。

現実世界の私の祖父は

一人(実母の実夫)は勝新太郎タイプの土建屋の社長で

実母の母と離婚してキャバレーの女と再婚しており、あまり私と会うことはなかった。
一人は(実母の継父)は今でいう(いや、既に古いな)レオン的ちょい悪?オヤジであり、高い服で着飾り、テニスをしたり、不倫したりするやつだった。

田房永子さん的に言うと はしゃぎオイスター

 

実父の父も継父の父も既に他界しており、

私の周りにはまともな「おじいちゃん」が存在しなかったわけだが

 

唯一?まともだったのが

毎週日曜に観る笑点歌丸師匠だったのかもしれない。

歌丸師匠は私が小さいときから 既に「おじいちゃん」で、昨年亡くなるまで

ずっと「おじいちゃん」だったもんなぁ。 

 

実際の歌丸師匠がどうだったかなんて存じ上げないが

少なくとも私が知る限りは「性」の匂いがしなかった。

私の知る 二人に祖父は

常に「性」の匂いがぷんぷんしたわけで。

無意識の中で 私にとっての歌丸師匠はちびまる子ちゃんに出て来る友蔵さんのような

存在だったのかもしれない。

(こちらも実際はクソジジイだったそうだけれどもw)

 

さて、そんな「理想のおじいちゃん」に頭をよしよしされ、

心の奥のモヤモヤをズバリと癒してもらったわけだ。

 

毒親界隈?はスピリチュアルと割と相性いいのか

なにかというと「インナーチャイルド」とか出て来るけど

私にはそれがイマイチピンと来ず、

インナーチャイルド」を癒すとかいうことが出来なかった。

 

それが、歌丸さんにより

インナーチャイルドなのかよくわかんないけど

癒されたわけだなぁ(爆)

 

もう何があっても

「だって歌丸師匠が 気にしなくていいって言ってたもん」

で済みそうな気がする。

 

そんな不思議なお話。

 

 

 

 

 

 

他の方々は負の記憶遺産をどう処理しているのか問題

私が実母と距離を置く理由の一つ

 

物心ついた頃から成人し、さらに結婚して出産をへてもなお

母の感情のゴミ箱代わりをさせられたということ。

 

既に何度もこのブログに書いているが、

母は思ったことを全部私に吐き出すタイプであり、

また、過去に起きたこと全て私に伝えたいタイプの人だった。

 

母自身が

女子高生のとき、友達と家出したけど 友達が裏切ったこと。

結婚後お金がなくて、毎日カップラーメンばかり食べていたこと。

和田アキ子が嫌いなこと。

家を建てるときに自分で間取りを考えてエライこと。

自分で商売立ち上げて、軌道に乗せてスゴイこと。

ご〇〇様は凄いこと。

実姉にされた嫌なこと多数。

実母にされた嫌なこと多数。

義父にされた嫌なこと多数。

義妹にされた嫌なこと多数。

その他 いろんな人にされた嫌なこと多数。

 

とにかく 嫌なこと8割、あとはなんか威張りたい事?2割くらいで

毎日毎日 私に負の感情 記憶を放り込み、

私の涙をみてはスッキリしていたようだ。

 

で、

最近の自分を振り返ってみると・・・

全く同じ作業を このブログでやっているわけですよ💦

 

長らく生きていれば、不幸な生い立ちをしていなくとも

そこそこの「嫌なこと」とか わざわざ他人に披露するほどのこともない

オチのないはなしや、自慢したいこととかね。

 

そういうのをどうしてるのかなぁと。

 

少なくとも私はこのブログを始めて精神的に安定している気がする。

ずっと心に貯めていた負の記憶。

私のブログ記事に殆どは リアル友人知人に伝える程のことではない。

聞かれたら答えるけど。

 

仮説として

・何十年もモヤモヤするような嫌なことなど然程ない。

くらいしか思いつかないので、

なんか「こうしてますよ!!」みたいなものがあれば教えて下さいm(__)m

 

 

 

「専業主婦」と「ひも男」の板挟み

僅かな金額でもいいから収入を得ていないと 

私は「ダメ人間」「人間失格」なんじゃないか?

と思ってしまう自分と

「専業主婦 ららら~♬」「さいこー」

と思う自分がいる。

 

今現在、ゆるくパートしたり、セミナー講師をしたりで

月3~5万円程度の収入があるが まぁほぼ働いていないと言っていいレベルだろう。

 

で、何故 自分の自分への評価が「収入」に左右されるのかを

考えてみた。

 

 

私の祖母は 仕事が出来る人だった。

バブルの波にのり、お高いお洋服を売りまくり大儲けした。

その配偶者、すなわち祖父(バツイチ同志の再婚なので、私の母とも私とも血のつながりはない)は

バリバリに働く祖母のひもだった。

対して働きもしないくせに「社長」の肩書をもち、いつも店の隅にでーんっと

偉そうに座っているだけ。

見た目だけはいいので、ちょいちょい不倫やらなんやらしていたし

金遣いも荒く、性格も最悪だった。

ただ、唯一役に立つのは きれい好きで昭和の男のわりに

毎週日曜の朝は家中をピカピカに磨き上げるくらいか。

 

そんな感じの祖父だったので

親戚があつまれば「あいつはひもだ」という話にしかならない。

幼い私には「あいつはひもだ」と言うことが刷り込まれ

お金を稼がない人=価値がない人間となった気がする。

 

 

一方

祖母と同じようにわりとバリバリと働いていた母は

サラリーマンとの再婚を機に 専業主婦となった。

母はことあるごとに

「専業主婦は外国では憧れの職業なのよ!」

「〇〇おばさんは 専業主婦の私を妬んでるのよ」

「バカなおばさんがパートで月に数万円稼いでなんの意味があるのよ?」

などなど

専業主婦の地位UPキャンペーンを一人でやっていた。

 

 

私の情緒不安定ならぬ、自己評価不安定は

この辺の原体験があるのではないか?と思ったわけだが

 

そもそも人の価値はお金を稼ぐかどうかなのか?

 

根っからの貧乏人よりも 根っからのお金持ちの方が

性格が良いことは経験上知っている。

根っからのお金持ちは他人を騙そうとか、陥れようとはしない。

(あくまで個人的な感想)

 

それを考えるとお金を持っているか否かは 人間の価値に影響する気がする。

しかし、それだけとも言い切れない気もする。

 

結局のところ、

このモヤモヤは解決するには至らないが

とりあえず 幼い頃の周囲の環境、そして母の毒っぷりが

原因であることが分かったので

 

私は悪くない(笑) 

 

 

場を仕切る人がいると面白くない。それは人生も一緒だよな?って思った話。

えーっと、もし不快な思いをされる方がいらっしゃったら申し訳ないです。。。

個人の感想ってことですみません。

 

とあるボードゲームの会にちらっと参加してきました。

私はルールはだいたい理解していて、何度もそのゲームで遊んだ経験あるので

自分としては、初心者よりは中級者に近い?という認識(客観的にみてどうなのかは不明)

 

そのゲーム会では

ベテラン勢お二人と私と恐らく同じくらいのレベルの男性、それに私の4人で

2ゲームほどさせていただきました。

 

ベテランのお二人は 明らかにレベル違いの私達に対して気を遣ってくれていて

我々の行動にたいして、たくさんアドバイスしてくれるし、

点数の計算など瞬時にやってくださる。

とるべき行動を詳しく解説してくださる。

「ゲーム時間を有益に・そしてスムーズに進めるためのアドバイスをもりもりくださる。

結局、ベテランお二人ですいすいゲームを進めていき、我々二人は言われるがままについて行くだけ(笑)

 

親切なアドバイスのおかげか、私は2ゲーム目は勝利することも出来たし、

まぁ楽しい時間だったんだけども。

結局のところ、ゲーム中に私が考えるべきこと(次はどの手でいくか?この場合どう行動するか?)の8割くらいをアドバイスに従ってやっていたので

勝利したところで、然程 嬉しくないわけである。

(ゲーム自体は楽しかった)

 

自分よりも上手い人(ベテラン勢)からのアドバイスは役に立つし、勉強になる。

自分にない目線や 私が経験したことないことを教えてくれるのでありがたい。

その一方で

自分で考えるべきこと、経験して覚えることが 自力でゲームするときとはけた違いで少ない。。。気がした。

 

で、

これって…

普段 子どもに対して親がやってることと同じじゃないか?と。

 

全くの初心者(子ども)のときは、言われるまま、教えられるままでも

そこそこいいかもしれない。

でも、ある程度ルールを覚えて、中級者(思春期あたり?)になっても

あーだこーだ言われると面白くないよなぁ~

 

私の場合、30過ぎても母親の過干渉が爆発していたわけで、

ゲームに例えるならば そこそこ上級者となっていてもいいハズの

プレイ歴であるにも関わらず、他人に聞かねば行動出来ない 超雑魚キャラ…。

 

一方で、私も一人息子の母親なわけで、

今までは 息子の生活全般を仕切っており、出来ることなら将来は〇〇高校へ行って欲しいとか、大学は〇〇くらいだといいな~ だって、そっちの方が将来えらくなりそうだから~ とか(口には出さないまでも)

自分の母親のことを批判できないくらい実は頭の中で考えていたりする。

私の中で自分の母は完璧な反面教師でもあるので

私の母のように 息子の人生に積極的に口出ししようとは思わないが

からしたら「人生を有益に・そしてスムーズに過ごすためのアドバイスでも

息子からしたら「場を仕切るための口出し」と変わらないし、

そんなんされたら 面白くないよなぁ。

 

今日のゲーム大会のようにね。

 

幸い、今目の前に息子が居ないので(留学中)

こうやって冷静に考えることが出来たが

今日だって、息子と一緒に大会に出ていたら 

「なんで勝てないの!! このときは、こうするのよ!!キィー(# ゚Д゚)」となっていたかもしれぬ。

 

息子が帰ってきても そうはならないように今日の出来事を残しておきます。

 

本日、へぼい私と遊んでくださった皆様

どうもありがとうございましたm(__)m

是非、またご一緒出来ると嬉しいです。

今度は自力で勝ちますよー!